My Profile
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2012.4.17 (上記日付1985.10.16=データー整理上の過去の日付)
全日本実業団を終った頃、正確な日にちさえ覚えていないけれど、
会社のあった大阪 今里 >>またまた奈良県へ引っ越し! 最初は、生駒 >今里 >そしてーー!?
半年で3回目の引っ越しを行うことになる。
最初に住んでいた 生駒 = いい所過ぎて!
当時 大阪市内の会社 重役以上の方々のお住まいがメインーーー!!
自分の様な「平均的な実業団選手」
=> 必要不可欠なトレーニング後にすぐ行ける 「 銭湯/トレーニングクラブ 」的なスポーツ施設
当時は、皆無ー!?
トレーニングに集中できないので、なかば強引に今里の「 スギノ本社工場の屋根の上 」?
部の寮ーー!!にお引っ越ししました。
>> 廊下の床の間 から1階の工場の旋盤ー!? が見えるのが、「 売り 」の 自転車部の寮
この寮が、またまた凄い寮でした!
まるまると太ったネズミ = 体調20cm強ーーー!!
廊下の中央を「 堂々 」と我が物顔 で、走ってきます。(笑い)
あ〜ん、、
自分は目撃者になることは、なかったが、、
このネズミ君退治に廊下に超強力な粘着マットをしかけたとある日
よりによって、目の良くなかった 「 杉野 安 」社長さんがーー!!
「○○君、○○君、電話、電話、、、 」 の声の後
「 ドターンーー!??」
おいおい、、、 ねずみじゃなくて、、 社長がーー!! ○×△△ーー!!
そんなユニークなスギノ自転車競技部の寮
>>会社が奈良に引っ越すことになったので、寮も奈良に引っ越すことになる。
そんな寮に期待を寄せていた自分が、聞く初めての奈良の町?
その名はーー!?
「 柳生の里 」!?
安 社長さん: 「 イチカワ君ー! あんたの好きな練習には本当にいい所ですわ。柳生の里は、、、」
市 川 : 「 あれ〜、柳生ですかー? 」
「 ふ〜ん〜、、 やぎゅう? やぎょうじゅうべい、ですかー?」
安 社長さん: 「 なにやー、知ってたんやなぁーー!」
市 川 : 「 うーー、、なにを、知るーーー!?」
行って見てびっくりーー!
あれー、本当に「 あの新陰流で知られる 」
柳生一族や柳生十兵衛の里!!
おーっと、、、
飛んでもなく歴史的に重い地に自分たちの様な自転車競技部の寮
なんか引っ越ししてええんかいなぁーー?
と言うより、
奈良東大寺 脇の道で寮のある柳生の里まで = 約8km前後の上り
当時は街灯らしき街灯もなくて日没後は、ほぼ闇?
>> 雰囲気的に 三度笠か、天狗か、はたまた山伏でも出てきそうないきおいで、、
それこそ、秋の日没早い時期にオフシーズン
17時上がりの疲れた会社帰り = 通勤ロードでは、
ちょっとしたガサガサ音も、、、
出たーー!! 的な心拍バクバク状態で、、、(笑い)
そして、10月中旬にあった鳥取国体も風邪引いて=まったくお話しならずに終わりーー!
その2日後に始まった「ツールドアジア」!?
>> 韓国3ステージ/国内=群馬 CSCで2ステージ
まったくやる気なく終わりーー!! (笑い)
やる気ないときーー!
>> 本当にまったく駄目!= ほんとうに、、わかりやすい選手です!?
残るレース 琵琶湖の実業団100kmチームロード
>>これが、このチームで走る自分の最後のレース!!
ちなみに2012年4月にあった 実業団の和歌山/白浜あたりの15km!のチームロード
>> 距離が違います。
そんな「おままごとーー!!」的な距離では、ありません。
15kmのチームロード 走りに全国から白浜まで!
ハッキリ言って○鹿△鹿しいですねぇーー!!
行く方の「道中 」の方 = 疲れる感じです。
以前 世界選手権 にも常連種目だったこの <100kmチームロード>
100kmチームロード=4人エントリー 平均して > 1人25km先頭
白浜15km =6人エントリー 平均して > 1人3km先頭引かない/引けない?
プロとアマチュアカテゴリーの棲み分けだった当時の世界レベル
世界のベスト8に入る様な国々
100km 2時間以内 平均50km/h以上
もちろん、せいぜい 後輪=ディスク程度で DHバーなんてありません。
横道にそれたので、それたついでにちょい余談ですが、
この100kmチームロードレースは、アマチュアのみ種目でした。
よって、プロ世界選手権 等にはありませんでしたがーー!
< 平坦のスピードマン> 達の胸を踊らせる種目
平坦が強い = 「 ひとり 」でガンガン走れる!
これが、すべて >先頭交代なんか、いりましゃんー!!
この手の選手
トラック種目 個人T. T >> 当然の事ながら「いいタイム」をたたき出します!!
日本人選手 、 いや、東洋人で 今だこの手のスペシャリスト的な選手は、現れておりません。
石畳をガンガン行く/行ける選手が、
トラックの個人競技でタイム計って「遅い」なんて聞いたことないです。(笑い)
トラックの「 タイム競技 」でタイム出ない平坦マン?
=そんなの強いとか速いとか言うレベルじゃなくて、「とりあえずロード選手」としての
「 最低限のレベル」のお話だと思われます。
最初にヨーロッパに行った83年当時にミラノでプロレースをテレビで見ながら、
なんとな〜く、、「トッププロが、100kmチームロードやったらどんなもんなのかなぁ?」
と思っていたことがありました。
そんな、自分のアマチュア最後の頃の答えを当時のスーパースターのふたりが、示してくれました。
翌年チーム MITIHO でヨーロッパをウロウロしていた84年の秋
イタリヤ 「 ピサの斜塔 」
スタート/ゴールする「2人で走る」プロカテゴリー 98km T.T
GP.トロフィ バルキ ( GP Trofeo Baracchi )
ペアを組むのはーー!!
イタリア スーパースター =フランチェスコ、モゼール
フランス スーパースター =ベルナール、イノー
そして!!
このゴールデンコンビ 98km >>1時間54分!!
コースレコードで優勝しました!!
後2kmを足して きりのいい 100kmにしたいーー!ので、
1kmを仮に平均50km/hで走ったーー! としても 70秒ちょい
2km=140秒=2分20秒
いやー、 めんどいんで >>2分30秒にして、
足すと 100km = 1時間56分台中盤!!
それもふたりでー!!! どっかーん
でしたが、、、、
その後、市川自身もプロになり >>(もちやもちやで、、)「まぁー、しかたないなぁーー!」
と理解していたつもりだったのですが、、、
90年にスイス/イタリヤ系のチーム= Frank -Tokyoマニフレックス時代
このピサ周辺のプロロードレースを走りーー!!
微妙なアップダウンを繰り返す= ここの地形
と
イタリアでは めずらし風あり/風強しの現場 を知るにつけてーー!!
「しかたないなぁ!」を「どうしょもないなぁーー!」に変更しました。(笑い)
そんな100kmチームロード(4人)
国のロードレベルを計るいい意味での「古典 ]
「100kmを2時間以内」って言うのは、世界に行く最低限の課題でしょう。
いやー、永遠まで行かなくても、長年の課題です。
国内でも是非、やっていただきたいと思います。
市川が、強化のトップだったら間違いなくやります/やらせますが、、
まぁー、今さら競技連盟に関わるなんてーー!
無駄なエネルギーは、使わないことにしています。
そんな自分自身の中に何か変えて行くーーー!
なんて、気持ちのある/あった時代は、とーっくに過ぎました。(笑い)
仮にそんな組織に自分が、いたら「 上 」もやりにいくと思います。(笑い)
海 外 > ナショナルチームの成績出ない = 監督/コーチ 総入れ替え
国 内 > ナショナルチームの成績出ない = 正選手/準選手 総入れ替え!? ほれっー!
自分が大学当時 ナショナルチームの合宿(伊東) アジア No.1ーー!! になるが為に、
この「100kmチームロード」に力をおいてました。
なかなかいいトレーニングコースがない!のでーーー!?
管理の楽な 「 競輪場 」の中をロードでグルグル走らされました!!
ハッカネズミの様にーー!!
そうです。場所は、伊東競輪場です。
えーと、その温泉競輪場と親しまれている バンク = 333バンク!!
一周して戻ってくる 4人のチームロード選手 にホーム側に陣取ったコーチ連が、大きな声で
「おあと、299回ーーー!!」 って、、、
333バンク=333m(1周) 1km=3周
>10km=30周
>>100km=300周ですねぇ。
いやーー!! どんだけーですかーー?
でも自分的には、このトレーニング大好きでした!?(市川も昆虫です)
なぜ? だって1周交代 = 距離も「引く距離」も皆同等に決まっているので、
当然の事ながら「足のない」選手 >>最初に切れていくーー!!
ただし、故意のスピード落としたり、交代ぎわに一気にスピードあけなければの話ですが、、
ほいほい、話を戻しまして、、
12月で会社をやめることになっていた!!
冬の通常の仕事モード = トレーニング時間もない!!
チームロードメンバー 会社を 欠勤扱いで「休んで」!! トレーニングをしてました。
マネーよりバイクレースですーー!!
いやー、今思うとどんな選手たちですかー!?
凄いねーー!! スギノチーム >> そりぁ、強いですがなぁーー!!
肝心な 当日 チームロード
あまりに凝り過ぎたーー?
自分の 「 前後24インチ ディスク T.Tバイク」
左ターンが曲がれなくてーー!!?
毎周回に一度、 関係者に笑われながらもーー!
バイクから降りてーー!!
折り返しの駐車場内のターンをこなしながらもいい感じになって来て、、、
ちなみに、そのT.Tバイク = ハンドル製作 >>三浦恭資です。
そのうちにこのバイクの画像をアップします。
トップチームに迫ってきた3周目
チームメイトの山田選手 呼吸困難に陥りーー!
コース脇の工場のネットの中へ突撃!!
そして、意識不明ーー!?? やまだーーー!
生死にかかわるのでは?と慌てた市川が、
大会本部に向けて ひとり 猛スピード 逆走ーー!!
注意 > 警告 >>そして、失格ーー!
「あのねぇーーー!!」
「 失格ーー! とかそう言う物じゃなくて選手があぶないないんですょ!」と言っても、
移動モト審判ー!? エキサトしたまま通じず!? ○×△△!!
このあたり日頃のおこないがーー!
と言うより、日頃のレース態度がーーー!!、、 ですかー!?(笑い)
しょうがないので、静止振り切ってーー!! (格好いいーー!! 笑い)
スタートラインまでのコース半分 逆走個人 T.T 途中正面から来た
サンツアー Aチーム(4人)より反対周りで、 >> 先にスタートラインに先着!!
勝ったーー!って、ちょっと違ってました!?
そうそう人間やれば、できるのです。
肝心ななのは、どこでどうスィッチを入れるかだなぁーー!!?
レースで苦しい時、
駄目だーー!と思って =>まだまだ50%
目の前に☆がパラパラ出て来て =>80%?
その後、もう少し追い込むと、
視界の上から黒いカーテンの様な物が、スーっーー!!
と降りて来ると同時にスーット眠むくなって、、、
気がつくと美形なナースさんが、いた事が、何度かありましたーー!
おーっと、
何もそこまで追い込まなくてもいいですねぇ。
精々「☆/星」あたりでいいですかー? それでも危ないのかなぁー?
それよりスタートラインに戻った自分ですが、
すぐに救急車に場所を説明して、バイクーー!!
チームメイトの山田のいる事へ >>先攻 誘導ーー! Goー!
救急車が、遅れるのでーー!??
かなりイライラしていたので、「 速く付いて来いーー!!」と言ったら、
救急隊員の方に「 救急車もスピード制限が、あります!」と言われたことも今でも覚えてます。
救急車の中で酸素吸入受けて、山田が、意識取り戻すまでの時間の長かったこと、、、
そんな山田とレースシーズンが、終ったとある日
現在のTOJ = 「 ツール、ド、奈良 」 月ヶ瀬界隈を走り、会社によって
いつも通りに大仏様のある東大寺横 = 通勤ロードを上る頃、日も落ちて来た。
「 あれー、ライト 忘れちゃたょー!」
早く帰ろうぜーーー! と上って来た奈良市内の方へ、目をやると、
「!!!」
=> 四角い箱の様な中で海藻 と言うか、何かがユラユラゆれている
前方が薄紫色の物体が、もの凄いスピードで上がってくる!
「 ついに出たーー! 」
「あー、!!」
「やまだー、行くぞーーー!!」 と、もがいても、その物体はどんどん近づいて来くる!
後2、3コーナーにまで近づいた頃、
すでに足もぱかんぱかんで、ふたり共「ヤバいもう終わりだーーー!!」と
バイクをおりてカードレールの向こう側へとアクションを起そうとしたその時、、!?
「 ゴッーオー、、、!!」
奈良駅発と思われる前方の行き先表示を「紫色」で縁取った
誰も乗っていない路線バスが、通過して行った。
「バカヤローー^ー!」
自分たちが、見た不気味にユラユラと揺れる物
ジクザクな上り道を上がってくるバスの中で揺れていた「つり革」だったのである。
トレーニング後半 バイクライダーの目は、かなり疲れておりますので、
皆様においても事故/幻覚(=誰も見ないかー?)等に
お気をつけて無事にご自宅までお帰りください。
スギノレーシングチーム寮のあった = 柳生の里
いつかゆっくりと訪れたい場所のひとつ!!
12月10日 会社の若い仲間に自分の送別会をしてもらうまで、、、
山田と最近のツアー、オブ、ジャパン = 奈良ステージ界隈や月ヶ瀬のダム/青山高原方面等々
明るいうち >> ロードバイクでーー!!
日が暮れたら >>「 P7 」!? を履いた 低〜い車 で夜な夜な、、、
あーーー!今思っても、
「かなりヘモグロビン濃度」高かかった時代だった気がします。
この時代の自分は、レース会場行っても「人と話しをした記憶」がない?ですから、、
レース前にそんなことするなんて面倒=労力の無駄!だと思ってましたので、、 やれやれ、、、
翌年1986年の2月に三たび >> スイスへ行くことになるのだが、
さすがにこのシーズンが、あまりに色々なことがありすぎたのか、、
年も押し詰まった年末に右腹が、急に痛くなって病院に直行!
白血球の数値が少し高かったので、、、
盲腸の疑いもあったのが31日と言うこともあって、手術でなく薬でちらす治療を受けることになる。
自分がようやく就職してーー!! 全日本失業団! 的な生活から脱出したのもつかの間
会社を止めて懲りずにスイスへ行くと言い出した為、 家族も、、、
そして、新年早々に大好きだったおふくろ方のおあばちゃんが他界してしまい、、
自分にとっては、波乱に満ちた1986年が始まることになる。
3度目のスイス= Mavic- Gitane -Loop Sports チームへ
1985年10月16日水曜日
Sugino 琵琶湖100kmチームロード vs GP トロフィバルキ No.9
Index
Sugino Racigng Team 1985 No.1 (スギノ入社)
Sugino Racigng Team 1985 No.2 (阪奈道路/暗峠)
Sugino Racigng Team 1985 No.3 (チャレンジロード)
Sugino Racigng Team 1985 No.4 (近畿ロードロード)
Sugino Racigng Team 1985 No.5 (西実業団ロードロード)
Sugino Racigng Team 1985 No.6 (オランダ遠征)
Sugino Racigng Team 1985 No.7 (都道府県対抗)
Sugino Racigng Team 1985 No.8 (全日本実業団)
Sugino Racigng Team 1985 No.9 (スギノ退社)
Sugino Racigng Team 1985 No.10 (スギノ画像)
Mavic -Gitane-Loop Sorts 1986 No.1 ( Mavicチーム入り)
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