My Profile
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2012.5.2 (上記日付1986.2.9=データー整理上の過去の日付)
1986年の2月8日(土)雪降る寒い日
成田にサンツアーの谷島君の見送りを受けながら、3たびスイスへ出発
今覚えていることと行ったら、ヨーロッパ系のみならずアエロフロート(旧ソビエト)以外の
エアーラインは、直行便など存在せず「アンカレッジ」経由と言うルートで飛んだことくらい。
そして、この年は、スイスでも大雪と記憶される年で本当に春先の雪の多さには、正直めげた!
この3度目のスイスは、 MAVIC - GITANE - Loop Sportと言うチームで走ることになる。
フランス語圏にあるMavicとGitaneバイクの輸入元をしていたJean-Jacque Loop さんが、
オルガナイズしていたチーム。
その後、彼のこのチームが、 Postスイスプロチーム > フォナックプロチームとステップアップ
して行くことになるが、 Postスイスができたのは、自分がヨーロッパでのプロ活動から、「足」を
洗った93年より後2年後のことだった。
86年以後、Jean-Jacqueさんのチームが、アマチュアだった時代の何年間では、三浦恭資、
大門宏、安藤康宏、鳥屋尾けいじ、流郷かなこ選手など、色々な日本人が、スイスで走る機会を与えて
くれたし、自分のアマチュア最後の年の86年に一緒に走っていスティーブ、ホッジ(オーストリア)
以下下記の色々な選手が、ジョン、ジャック、ループさんもと、それこそ家族ぐるみ的な感覚でつき
あう機会を持つことができた。 そんな中には、下記の様は大物選手もいた。
アレックス、ツレ
ローラン、デュホー
アーミン、マイヤー (現ツール、ド、スイス、レースディレクター)
リシャー、シャッソー (現ロマンディ、レースディレクター)
(時間出来たら、彼らの経歴をもっと詳しく調べます。)
ジョン、ジャック、ループさんの経歴もモーターバイクでのヨーロッパモトクロスの元チャンピオン
になったこともあるバイクライダーで、パリールーヴェのバイクアシスタントを始めツール、ド、
スイス/ドロフィネ等々の多くのプロレースで Mavicのデパナージュ(レース中のニュートラルバイ
ク)で活躍し、バイクその物では、それこそ現役をとっくに引退していた80年代後半には、
モーターバイク部分の「パリーダカ」にも出たアクレッシブな人。
Jean-Jacqueさんに連れられて、当時まだ「どこの資本」支配界にもなかった純粋な Mavic
社に何度か行ったこともあった。
Mavic自体も、その後、サロモンの支配下 >ドイツのアディダスの支配下に入り>80年代後半の
ジョンピエール、コンブと言うMavc社きっての部品開発者が、先頭に立って「アバンギャルド」を
突っ走しっていた時代は、もう遠い昔、過去の物。
個人的には、 Mavicの部品は、「終わった」と思っているし、ヨーロッパに行ってもさほどみかけ
ない。ハッキリ言ってしまえば、「日本」だけに多い部品のひとつ。
あまりに色々な人と色々な関わりを持つ様になっていったので、それだけで話も思うように前に進み
そうもない。
この86年に自分にとって最後のアマチュア時代をこのスイス国内チームと契約を取り持ってくれた
のは、ドイツ語圏で前年の85年まで走っていた Willy Feilx(ウィリー、フェリックス)
彼の橋渡しなしに自分の3度目のスイス行きは、なかったと思う。
2月8日(土)に成田に出て、次の日から彼の友人宅の元トラック選手の Urs Presig
(ウルス、プラィシック)のもの凄く大きな家に滞在、、、
一週間ほど滞在してからMavicチームのチームプレゼンテーションに為にスイスのフランス語圏へ
雪の中のプレゼンテーションで行い、次の日には、チームカーで約8時間移動して一気に南フランス
ジュネーブからフランスに入って、どんどん南下するとともに「日差し」が、どんどん強くなる!!
南フランスのカンヌの町はずれ?の宿で2週間のチームキャンプと言う慌ただしさだった、、
と久しぶりに見るトレーニング日誌にただ驚くばかり、、、
そう言えば、カンヌの映画祭のレッドカーペットが、2階の部屋から見えるレストランの御曹司?
オリビエもループスポーツのメカニック/選手でいたけれど、今どうしているんだろうー?
「 Masaー、今度、うちの2階から映画祭見ようぜー!」 なんて、約束してから、早い30年!!
あれー、いくらなんでも「約束」=時効ですかー!? ヨーロッパ感覚だと、どうなんだろうー?
上) Urs Presig の家で
中、下)彼の家から近いセンティス=007のゴールドフィンガーの舞台
トレーニング日誌を見て行くと、、
2月16日(日)に移動して、雪深いスイスから南フランスに到着
「太陽が、無茶苦茶まぶしい!!」
トレーニングキャンプに入って、一週間後に立て続けにトレーニングとしてそのままレース参戦
23日(日) Montecalo ー Alassio (モンテカルロ〜アラシオ)
25日(火) GP Diano Maria (GP ディアノマリーナ)
レース後半、プロクラシックのミラノーサンレモのあの「ポッジオ」の下りで
雨で手が寒くて、ハンドル操作ままならず集団から切れる!
ーなんて書いてある(笑い)
そして、笑えない/たぶん生涯忘れることのないレースを27日(木)に走ることになる。
そのレースは、モナコで行われたGP Maurice Godot
レーススタート後、約10km程度で左折を終った車が、集団の正面につこんでくる!!
自分の前いたチームメイトのティチアーノのバイクが、木っ端みじん!
彼の右前方にいたイタリヤ選手が、他界しました。
このレースの後、なにか集団の中央で走るのが、どうもトラウマ的になりました。
集団の真ん中走る場合
一番前で集団引く
一番後ろの真ん中のどちらかと言うパータンになっていった気がします。
そして南フランスのトレーニングキャンプから引き上げた土曜日になぜか?イタリヤ語圏に泊まって、
移動距離長いからワンステップいれたなぁ?と思っていたら
そのまま次の日の日曜日にスイスの国内レースのオープニングレース= Luganoだった、、
トップから3分遅れの38位。
まぁー、フランス語圏に戻って、またアルプス超えてイタリヤ語圏側でレースに行くなら、
チームキャンプの帰り道の途中で、レースを走ってしまった方が、コスト的にも経済的/時間的にも
有効ですもんねぇ。
このあたりから、少しづつ「ヨーロッパ」ナイズドされた合理主義が、自分の中で少しづつ植えつけ
られたと言うか、芽生えて行った気がします。
この後、ほぼ毎週末にレースが、始まることになるのです。
1986年2月9日日曜日
Mavic - Gitane - Loop Sports 1986 No.1
Index
Sugino Racigng Team 1985 No.1 (スギノ入社)
Mavic -Gitane-Loop Sorts 1986 No.1 ( Mavicチーム入り)
Mavic -Gitane-Loop Sorts 1986 No.2 (スイス初優勝)
Mavic -Gitane-Loop Sorts 1986 No.3 (ツール、ド、マルティニック)
Mavic -Gitane-Loop Sorts 1986 No.4 (アマ 東スイス一周)
Mavic -Gitane-Loop Sorts 1986 No.5 (プロチーム KASと契約)
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