My Profile
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2011.8.19 (上記日付1984.8.27=データー整理上の過去の日付)
9月に入ってすぐに当時、アマチュア版のツールと言われていた「ラヴィニール」に行ったはずなのだけ
れど、なぜか?あまり記憶がない。
日頃、毎日書いていたトレーニング誌を見ると、電車でチューリヒからパリに行ったとあるが、、
全く記憶にない。
ラヴェニールで覚えているのは、シャリー、モテが優勝したことベルギーのファゴール?にいたまだ駆け
出しだったミシャル、デニス(選手として最盛期=ベルギーLoto/フランス語圏選手)と、
80年代のアルプ、デュエズ的な存在?だった「SUPER BAGNERES」り言うスキー場への上りゴール
のステージの次の日の休養日に良く話しをしたと言うことは、覚えている。
この SUPER BAGNERESの85kmの区間は、ノートを見ると12分47秒遅れの50位。
そのなことより補給食は、「バナナ= Best」と思っていた私にレース中にあまりにバナナを食べていたら
「胃が重くなって良くない!」とアドバイスしてくれたのは、このミシェルだった。
このメモの方が、大きく書いてある!!それほど、このバナナ事件は、私にとって衝撃?だった様だ。
フランス語がメインのミシェルと当時、フランス語なんて話せなかった自分が、どう言う会話をしたのか、
今もわからないが、、(笑い) その後、ベルギーチームでプロデビューした私は、数的には圧倒的に
少ないワロン地域(ベルギーのフランス語圏)のミシェルとは、本当に良く話をする仲になった。
メモには、「バナナは、お腹の中でグルグル回って?良くない/消化がいい=体胃?時間が長い」
と書いてある。
う〜ん、実におもしろい! >ガリレオの湯川先生かー?
そして、このラヴェニールが、プロローグ+12ステージ=合計13日間なんてことすらも全く覚えていな
いし、レース後すぐに帰国していて、4日目に伊豆CSCで実業団のレースを走ったも完全に忘れている。
興味ない事は、すぐに忘れる=私の頭の中のいいシステム?=引きずらない!?
ラヴィニールは、この年を最後に衣替えをして翌年からは「ヨーロッパ、コミニュテイ」として、
ヨーロッパ全体を回る様なレースに変わって行った。このレースを翌年、走るのではあるが、、、
帰国して、修善寺でレースをしたことは何となく覚えているけれど、それが4日後、、、 う〜ん、、、
今言えるとしたら、「若いね〜!」か「自転車好きだったんだなぁ?」程度ですねぇ。
ラヴェニールの記事も出て来たので、一様載せて見ます。
ムッシュ福井君の文章だけれど、彼が、何しに来たのかさえもわからない。(笑い)
メカだったのか? 通訳だったのか?
自分のノートには、レース後のマッサージ師もいなくて一週間後あたりから、疲れたきたと言う感想
とレース後になぜか?
「じゅうたんの上でタイヤを貼られて、リムの周りが毛だらけなるので!! しゅうがないので??
自分で、チューブラタイヤをはる!」なんて書いてある。 と言うことは、、
もちろん最初からマッサーいなければ、メカと呼べるべき人もいなかった!!
ジャンパンチームだったと言うことだけは、言えそう。
自転車競技マガジン (ベースボール出版/1984年10月号より)
1984年8月27日月曜日
Team MITIHO 1984 No.4
Index
Team MITIHO 1984 No.1 (2度目のスイス)
Team MITIHO 1984 No.4 ( ツール、ド、ラヴィニール)
Team MITIHO 1984 No.5 (帰国/全日本実業団)
Team MITIHO 1984 No.6 (スイスで一番思いでのあるSATTELEGG峠 他)
Team MITIHO 1984 No.7 (当時の有名スイス選手達)
Team MITIHO 1984 No.8 (スイス=アルプスの峠)
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