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2011.8.11 (上記日付1984.6.27=データー整理上の過去の日付)
今思うと、レース関連の事で「人に背中を押されて」行動を決めたのは、
後にも先にもこのチーム「 MITIHO 」の時だけだった。
前回一番肝心なことを書き忘れてしまった。
チーム名「 MITHIHO 」 >>千葉さんの奥様の名前から来ています。
あまりに気乗りをしていなかった自分を「もう1年行って見たらーー?」
と勧めてくれたのは、アマンダの千葉さん と 執拗に誘ってくれた森さんーー!!
83年 スイス エリートアマチュア を走っている時に言われた。
「ジュニア(18歳)から上がって来てエリートアマチュアになって
4、5年でプロになれなければ、、、
後はどの選手もホビーでやって行くーー!」
「 プロになれるのは、25、6歳までーー!!」
それでも、スイスのエリートアマチュアの80%以上の選手
>>午前中=働いていたーー!
半日仕事= 半日分の給料
4、5年経ってある年齢になって、
レースでもある程度の賞金 =アマチュアでも賞金は出た!
その半日分の給料を補えればレース活動を続けていける!
もしくは、プロになるーー!
それができないのなら=普通に働く道を選択する、と言うこと。
当時、かなりレベルの高かったスイス国内 エリートアマチュア レース
世界選手やオリンピックなど国の代表を争うカテゴリー
>ほとんど毎週末 150、60kmのレース
>>毎レース 完走者数 30人前後とかなり厳しいレースだった。
レース終了後、30位まで賞金が出て、、、
なおかつレースの結果をプリントアウトした用紙をその場でもらえるのも30位までー!
レース後、その「成績の紙」を持っていると「少しの優越感」すら漂っていた様な記憶がある。
「たった一枚の紙きれ!?」 なのだけど、
「アイツ、完走したんだー!」 う〜ん、、 てな感じで、、、
自転車競技マガジン (ベースボール出版/1984年8月号より)
バイクパーツのお買い物= ご自分で付けられるパーツは、、、
ここからどうですかーー!? Wiggle さーんーー!!
1984年6月27日水曜日
Team MITIHO エリートアマチュア 1984 No.2
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