My Profile
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2013.10.1 (上記日付1987.9.6=データー整理上の過去の日付)
1987年 オーストリア世界選手権大会 (オーストリア ヴィラッハ)
あれーー! いつのまにかにもうシーズン後半(9月)の世界選へ
だれに断ることもなく+自分勝手に+過去のいい記憶のみでーー!(笑い)
書いていっている自己満足のサイトですからーーー!
勝手に気ままにシーズンインからすべてをすっ飛ばしてのいきなりの
「 September〜 そして、9月は〜!」 って、歌詞ちょっと古すぎましたーー!?
えー、いきなりと言うことになってますが、実の所、この進行状況こそが、
87年当時の自分の気持ちを物語っているのです。
それくらい「時の流れ」が、速かった= 「 あ!っと 」言う間の87年 1シーズン
そもそも、アジア圏で初めて?のヨーロッパプロチームも入りするも、
最初のチームKASでいきなり正月早々にチームの監督ディグリ、バルディが、、、
>> 1月4日に交通事故で他界(合掌)
それによって、KASチーム 登録地 フランス >> スペインへーーー!
絶大なる力をもっていた監督亡き後、すぐにスポンサー KAS(スペインの飲料水メーカー)
本拠地であるスペイン登録に変更変更ーーー!
これが、何を意味するか? と言えば、
フランス登録時にいたチームの50%以上 >> もちろん、フランス選手
自分と同じ=外国人扱いになり、、、 シーズン直前、突然の「いす取りゲーム」 勃発!!
ヨーロッパで新しいシーズン開けて、新人なるプロ選手の数= 多くても30人前後!
そんなもんなんですょーー! 数から見たら、、 本当に少ないです。
自分と何人かのフランス選手 >> いきなりチームから出されて、、
おいおい、この時期にか、、、と、思ったけれど、ヨーロッパに来て、何度ともなく思い知らされた
「 自分がいいと思っていても、持ち主と言うか相手(本人)が駄目と言えば、絶対駄目ー! 」
と言う絶望感/いや、ある意味での試練 それとも個人の主張?
それが、アジア人に対する人種的な嫌がらせなのか? 本人の頑固な意思なのか?
知る由もないが、このあたりの「 YES/ NO」は、本当にハッキリしている。
個人的には、焦っていなかったが、最終的にアマチュア最後の年を過ごして、
プロになるきっかけを作ってくれたスイス/MavicーGitaneのチーム関係者の多くのアドバイス
「 クライマーの少ないベルギーチームの方が、チャンスが多いーー!?」と勧めてくれた
ベルギーHitachiチームに行くことになる。
そのあたりは、世界選手の後に書いていくつもり、自分では、到底持ち得ない2013年の今から
26年前!の当時の雑誌等を持ってきてくれるチームメンバー=(長年の自分のファン)のひとり、
横浜の和田さん=感謝です。
プロ選手になった後のページ更新が、無茶遅い=自分自身ヨーロッパ在中していたので、
日本国内の雑誌を目にする事も手に入れるすべもなかった。
あの頃、ファンなんて、めんどくさいなぁーー!? と煙たがっていたのですが、、
人の書いた訳のわからないサインなどもらって、どうするのー? (すみません or 笑い)
今となっては、お互い過去振り返って、「笑える」のですから、
それは、それで、いいですねぇ。「 市川も丸くなってます。 」 (笑い)
「 笑うかどには、福来たり〜 」!!
プロ1年目 オーストリア世界選手権 276km = 11.7km x 23周回
42位 40秒遅れの第2集団
訂正 リザルトミスプリ>43位です。
優勝 ステファン、ローシュ! ジロ/ツール/世界選手権 トリプルを達成!
レース内容 スタートから無茶苦茶の雨と雷!! >>良かったカーボンフレーム時代じゃなて、、
ギヤレシオ 53 x 44 >> 42じゃ、ないですょーー! 44Tです。
リヤ 12−18 (7段)!!
バイク VOUGE (普通にクロモリフレーム&フォーク)
メインコンポ MAVIC SSC
プロロード 勾配10% >> 2km〜3km続く場合でもない限り
ワンdayレース インナーギヤを大きくする傾向がありました。
>> アウターとインナーの差が小さい「シフトアップ」のかかる時間が、全然短縮ーー!!
上り終わった直後の「加速による」集団中切れ等々の反応に早く対処
このオーストリアの世界選手、そして次の年88年のベルギーのロンセの世界選手でも
「インナー=44T」を使用した。
(Hitachiのエース、クリケリオンは、上記2大会で45Tを使っていた)
<1987年 11月号 サイクルスポーツ >
えーと、雑誌タイトル的には、「 世界選手 」の「 世界 」すらありませんけど、、、
国内で、いや編集部内で(失礼!)、「 世界選手 」の重さなんて、そんな物だったと思ってます。
自分の左後で苦しそうな?「 フランチェスコ、モゼール 」(イタリヤ)
その横にかなり薄くなった?(ごめなさい)「ヨープ、ズートメルク」(オランダ)=間違い
訂正10/8(火) チームメンバーからもメール何通も頂いてますが、、ゼッケンナンバー
=174番の選手は、「ポーランド」のマイヨー
調べてもらった結果 ポーランド 2名のプロ選手の参加
173= Piasecl Lech 174=Lang Czeslaw でしたので、 174=ラング選手
*ピアゼッキ=元アマチュア ロード世界チャンピオン
旧共産圏から西側プロになった選手のハシリです
ラングもアマロードで上位に来ていたいい選手
プロとアマチュアの境目が、はっきりしていて、
なおかつアマチュアも西側と東側(旧共産圏) >> 線引きもこれまたハッキリしていた時代
2013年の現状でも ヨーロッパ人
ツアーチーム=プロ選手
それ以外のエリート=以前のアマ
認識と言う捉え方で間違いないです。
そして、自分がプロロードレースを走った中で「 唯一 」 選手の真後ろについて際に
「ときめきーー!」を感じさせてくれた「 ジョゼッぺ、サローニー 」(左端)
うあーー! オレ、ついにサローニーの後ろで走ってるーーーー!(笑い)
イタリヤを代表する2人の元プロロード世界チャンピオンに挟まれてーーー!
と言うのもおもしろいと言うか、いい感じです。
全盛期時代のふたり サローニーとモゼール ジロの優勝を争っていた宿命のライバル
>> もしかしたら、二人の最後になるプロロード世界選手権で、お互いに、、
「 アイツには、、、 」とやっていたのかなぁ?
それだとしたら、ほんと凄いですねぇ。
そう思って、モゼールの表情を見ると、、 何か、、そう思えてくるから不思議です。
シーズン中は、ヨーロッパにいたので、もちろん「 選考会レース 」にも出ていません。
現在の選手には、悪いが、わざわざシーズン中のまっただ中に「のこのこ」日本に
帰ってきて「全日本」など出ている余裕も暇など、自分にはなかった。
そんな時間も暇あったらヨーロッパで少しでもいいトレーニングして、
より良い結果出してよりいい他チームへ Go ーーー! (常識!)
少しでも多くのレースの出してもらう=よりチャンスが増える!と言う事
以外に頭になかったです。
日本ナショナルチャンピオンジャージを仮に来たとしても?
「えー、どこの国?」で終了ーーー! だったと思います。
冒頭で書いた様に国内ですら「世界選手」が、専門紙の見出しにならない時代ですので、、
まぁー、まぁー、そのあたり人それぞれでしょうが、、
自分の場合は、ナショナルチャンピオンジャージのマイヨーより、
目の前のレースひとつ、ひとつの成績 の方が、天秤にかけたら重かったと言うだけ
(もっと切羽詰まった状況証拠?を出します!! =テレビの刑事事件なみになってきた。笑い)
ただ選考していただいた以上ありがたく参加させてもらったのですが、日本で何があったかも知らないし
どんなニュースが新聞に出ていなかも知らなかったけれど、持ってきてもらった新聞記事を見て、
おもわず吹きましたー!
新聞に掲載されていた「 顔写真 」=ほぼ刑事事件の!? 「 犯人 」ーーー!(笑い)
もしくは、「指名手配」のモンタージュ!!
次のページで、資料が、ボロボロになる前に掲載しま〜す。
1987年9月6日日曜日
Hitachi - Belgian Pro Team 1987 No.2
Index
Sugino Racigng Team 1985 No.1 (スギノ入社)
Mavic -Gitane-Loop Sorts 1986 No.1 ( Mavicチーム入り)
Mavic -Gitane-Loop Sorts 1986 No.2 (スイス初優勝)
Mavic -Gitane-Loop Sorts 1986 No.3 (ツール、ド、マルティニック)
Mavic -Gitane-Loop Sorts 1986 No.4 (アマ 東スイス一周)
Mavic -Gitane-Loop Sorts 1986 No.5 (プロチーム KASと契約)
HItachi - Belgian Pro Team 1987 No.1 (プロ1年目/シーズンイン)
HItachi - Belgian Pro Team 1987 No.2 (87年サイスポ)
HItachi - Belgian Pro Team 1987 No.3 (日本の国内新聞)
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